夏支度〜いろいろ

  • 2017.07.22 Saturday
  • 23:55

 

 

夏は暑いに決まっていますが、私は今から、東京オリンピックが心配です。

 

世界中からのお客様が、日本を嫌いになってしまうのではないかと

 

オバサンは、今から要らぬ心配をしています。

 

そんな先の事より、今日の心配をした方が良さそうですが。

 

今日も朝からエアコンのお世話になりました。

 

 

 

夏支度は色々あれど、今年は「やる気スイッチ」が作動した様で

 

少し前に、せっせと保存食づくりに勤しみました。

 

先ずは梅酒にラッキョウ漬け。

 

 

これで済ませる積りが、ジャム用苺と、スーパーでばったり出会ってしまい

 

後先考えずに咄嗟に買ってしまいました。

 

それから、ジャムでも良いし、でも、何か、、、と思っていたら

 

酵素ジュース、という文字が目に入り、

 

簡単なので(ここ、重要です)作ってみました。

 

 

一番糖という精製をひかえたお砂糖で、レモンを加えて交互に入れて行くだけ。

 

量は適当です( *´艸`)

 

追記:お砂糖は何でも良いそうですなどと書いてしまいましたが

ここにお詫び申し上げます。

白砂糖が良いそうです。

ミネラル分が発酵の邪魔をするそうですので、

精製された白砂糖が好いそうで

 

更に、瓶のふたはシュワシュワと泡が上がって来たら、

瓶の圧が高まってしまいますのでガーゼなどで覆って

ふたは緩くしておきましょう。

 

更に、自分の手でかき混ぜると発酵を促すようです。

糠漬けも、その家独特のお味がするのは

その人独特の菌を持っているから、だそうです。

 

 

 

こちらが、イチゴとレモンがすっかりお砂糖と馴染んだものです。

 

途中、新生姜の甘酢漬けも加わり、もう、ラッキョウと共に食べています。

 

 

 

ラッキョウは二人目の子供がお腹にいた時、

 

祖母の指導の下、せっせと どっさり作ったことがありました。

 

上の娘が、まだどこへ飛んで行ってしまうか分からない年齢でしたので、

 

お腹の大きい私は、すっかり祖母に作って貰ってしまったようなものでしたが。

 

それから何度か作りましたが、今年はその時くらい美味しく出来ました。

 

歯応えがパリパリして、やはり買ったものより新鮮です。

 

 

容器の色が、ほんのり紅色がかっていますが、

 

ごく普通の果実酒用の焼酎です。

 

これも出来上がるのが楽しみです。

 

 

今日、初めてイチゴの酵素ジュースを炭酸割にして飲んでみましたが

 

素朴な甘さで、さっぱりして美味しかったですよ♪

 

まだ、酸味はあまり出ていませんが、熟成する前に無くなってしまいそうです。

 

かき氷やヨーグルトに掛けても良さそうです。

 

 

シュワシュワと、泡を見ているだけで涼しくなりましたよ。


 

〜〜〜〜==☆〜〜〜〜==☆〜〜〜〜==☆

 

 

 

 

今日は、お気に入りの夏の俳句を少しご紹介させて下さい。

 

 

 

「滝落ちて群青世界とどろけり」

             水原秋桜子

 

 

プレバトの夏井先生の俳句コーナーを楽しみに見ていますが

 

彼女が良く言う、「映像」と言うこと。

 

豊かな水量の、大きな滝が落ちるときの轟音が届き、

 

少し涼しさを感じませんか。

 

 

 

 

 

 

「ゆりかもめ白刃となりて吾に降り来(ふりく)」

                    大石悦子

 

 

お台場に行くと、ゆりかもめが沢山飛んでいますが

 

白刃となりて、、、まさしく比喩が、情景を鮮明に浮かび上がらせてくれます。

 

 

 

 

 

 

「夏みかん酸つぱしいまさら純潔など」

                鈴木しづ子

 

 

純潔を思う時、

 

ここはやはり、夏みかんでなければいけない、、ですね。

 

桃やメロンじゃ、純潔が引き立たないですものね。

 

この句は一度読んだら忘れられません。

 

 

 

 

 

 

「ゆるやかに着てひとと逢ふ蛍の夜」

               桂 信子

 

 

有名な句ですが、浴衣の帯も、暑いからゆったり絞めて、

 

今宵 逢う人は

 

きっと仄かに想うひと。

 

以前、書いたことがありますが、「会う」はただ、お会いするだけ。

 

「逢う」は一夜をともにする事、、、、だそうです。

 

 

この歳になると、男性を見る目も確かでないのも相まって

 

「遭う」になってしまいそうで(爆)恐ろしや。

 

 

 

 

 

 

「空蝉(うつせみ)をつぶすこはれぬものが欲し」

                    伊藤トキノ

 

 

一途な方と、お見受けします。

 

色々、ぶち壊しながら生きて来た身にとって

 

そんな可愛い事を言えるなんて。

 

純な方ですね。

 

 

ここを素敵ですねと言えれば、きっと

 

私も素敵に勘違いして貰えるのでしょう〜〜( *´艸`)

 

 

 

お暑い日々が、まだまだ続きます。

 

熱中症には、くれぐれもお気を付けくださいね。

 

 

 

 

では、また。

 

 

 

 

 

 

 

 

汝の名は「魂」

  • 2017.04.20 Thursday
  • 23:20

 

 

四国へ嫁いだ友人のUちゃんが、帰って来ていた。

 

Yさんと三人でランチをした後、

 

仕事のあるYさんを見送ってから、二人でゆるりと散歩をした。

 

 

前にも来たけれど、お馬を見ようとやって来た。

 

ふるさと村(昔の呼称)の「Ever Green Horse Garden」

 

 

 

「千葉ってさ、奥が深いよね。」と、Uちゃん。

 

たまにある、お洒落なゾーン。

 

他は、みんな「あるがまま」(>m<)

 

要は田舎って言ったら怒るかな、、、、、、県民の皆さん。

 

 

丁度、調教?というのか運動というのか、一頭の馬が走っていた。

 

 

雑木の新芽が芽吹き始め

 

桜は終わりかけているが

 

一年で一番美しい季節だと思う。

 

 

今年の桜も、もうこの地ではお仕舞。

 

 

16歳の牡馬だけど、去勢しているとのこと。

 

大人しいから触っても大丈夫ですよ、と言ってくれたので

 

Uちゃんと二人、そっと触らせてもらう。

 

Uちゃんは、動物を懐かせる天才だ。

 

 

 

彼女が鼻を撫で、首をさするのを見てから、私も真似る。

 

思いがけず、温かい肌に軽く驚く。

 

運動した後だから、余計高いんでしょう、と。

 

毛も滑らかで柔らかい。

 

 

 

深い目をしてこちらを見る馬。

 

慈しみに溢れたような目の色に、思わず納得してしまう。

 

何を?

 

 

 

最近競馬をしているが、人間を乗せて

 

あんなに従順に一生懸命走れるのは

 

この大きな生き物が、攻撃や闘争とは無縁なのだと。

 

闘志むき出しに、競争するでは無いかと仰るでしょうけれど

 

きっと、他の存在と闘っているのでは無い様な気がする。

 

もっと早く走れる自分と闘っているのだと、勝手に納得している。

 

必死で鞭を当て、進路を確保するジョッキーの思いに応えるために

 

ひたすら従順で一生懸命なのだと。

 

 

 

このお馬は、何方かオーナーさんがいて、乗馬の為に訓練しているのだそうです。

 

 

まだ、私の右の掌が、温もりを覚えている。

 

 

 

舌を噛みそうなサラブレッド達の名前を、なかなか覚えられないでいたけれど

 

これからは、レースの度に、きっと覚えるに違いない。

 

 

 

Uちゃんは語る、、、、牛とは心の交流が出来たけれど

 

豚さんとは出来なかった、って。

 

頭がいいのよ〜〜馬も牛も。

 

そうなんだ、ふむふむ。

 

分かるような気がする。

 

だって、あの目で見つめられたら、

 

想いが籠っているって、そう思ってしまった。

 

 

 

 

その後、馬場を後にして眺めの良い場所へと、Uちゃんを案内した。

 

 

私達を見つけて歩み寄って来る「タマ」

 

きっと、タマだよって、勝手に名づける。

 

「タマ〜」

 

「ニャ〜」

 

 

 

「たま〜〜〜」

 

「にゃああ〜〜」

 

って、ほらね。

 

 

返事したでしょ。

 

Uちゃんは、動物を手なづける天才だ。

 

あ、さっきも言いましたね。

 

 

 

「魂(たま)といふ凄き名前をもつてゐる

                      やばい奴だぜ猫っていふは」

                                藪内亮輔

 

 

 

「魂」だったのね。

 

タマは。

 

こんな面白い発想の歌に出会えると、

 

幸せって事を、ちょっと感じます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

古い記事で恐縮です。下ネタ話はアクセス多し、、、

  • 2016.12.02 Friday
  • 14:09

 

 

 

スマホで自分のブログを見た機会に、あまりの見辛さに

 

これは、何とかせねばと、思っていました。

 

PC版のデザインは、もう何年も変えていませんが、

 

スマホの方は、なかなか気に入ったデザインが無かったのも

 

見辛いにもかかわらず、放置した理由の一つです。

 

先日、見易いシンプルなデザインに着せ替えて、暫くして発見したのです。

 

Access ranking〜アクセスランキングなるものがある事を。

 

 

 

 

自分の書いてきたブログ記事の中で、一番アクセスが多いもの。

 

意外なものだったので、ちょっと驚きました。

 

2012年10月30日に書いた「柿の木問答」

 

*精神がお子ちゃまもしくはホントのお子様は遠慮して、、、という題です。

 

 

俳句で「柿の木問答」という季語があり

 

それについて書いたものですが、

 

民俗学などでは、廃れ行く風習として研究されたものもあり

 

真面目に書いた積りですが(笑)

 

一応、世間でいう所の「下ネタ」に属するのでしょうね。

 

人間、本能については、万人が避けては通れないものであり

 

食欲、〇欲に関したことは、アクセスが多いのだと

 

あらためて感心しました。

 

 

古い記事の再びの登場ですが、読み返してみて

 

自分でも、4年の歳月の流れをしみじみ感じた次第です。

 

お暇だったら、こちらからどうぞご覧になってみて下さい。

 

あ、俳句の方は、挫折したままです

 

http://bousoukara.bousoukara.boo.jp/trackback/383

 

上のURLをポチしても、指定した記事が出ない場合は、

 

お手数ですが、画面向かって左側の下の方にある

 

*search this site  の欄に「柿の木問答」と入力してみて下さい。

 

m(__)m

 

 

 

 

 

 

 

 

長い昼寝から覚めて

  • 2016.11.07 Monday
  • 06:55

 

 

 

 

しつこい風邪が長引いているが、寝込むほどではない。

 

病院で一度、抗生物質を処方してもらい、何とか治ったところへ

 

娘宅の引っ越しで、寒い日に労働したのが

 

こんなにグズグズと、長引いたせいかもしれない。

 

引っ越してからも、何やかやと、ご指名がかかる。

 

普段はあまり昼寝はしないが、午後の遅い時間になって

 

す〜〜っと、引き込まれるように眠ることがあった。

 

 

 

目覚めると早や、辺りは薄暗い。

 

秋の日は短くて、夕暮れ時は、何とは無しに心許ない。

 

 

 

赤ん坊が、目覚めるときに泣く子がいるが

 

寝癖と、起き癖と大体、どちらかだが、

 

長女は両方やる、手の掛かる赤ん坊だった。

 

眠くなる感覚に不安を覚えるのだろうか。

 

 

 

先日、私は起き癖をやってしまったようだ。

 

目覚めた時の言い知れぬ不安感に、

 

この世から置き去りにされたような、果てしなさを感じた。

 

 

これは、夏の夕暮れ時の写真だが、我が町には高い建物の上から眺められる場所が無い。

 

スーパーの駐車場の、上階から写した一枚だ。

 

西に富士山が小さく見えている。

 

 

 

「いと長き午睡より覚めて夕茜

            過ぎゆきからの手紙のごとし」

                  By ミルフィーユ

 

 

 

 

今年は紅葉が遅いのでしょうか。

 

急に寒くなったので、帳尻合わせに急ぎ足で燃えてくれるのかな?

 

どこかへ紅葉を見に行きたいと思っています。

 

では、また。

 

 

 

 

 

 

死に際の覚悟

  • 2016.10.25 Tuesday
  • 13:22

 

 

 

先日、一生を仕事に捧げとおした「お母さん」と呼ぶ人の

 

最期を、お嫁さんから聞いて、

 

O氏のお母さんらしいと、あらためて感服した。

 

一人息子のO氏は、9年前に先立った。

 

それ以来、O氏の連れ合いのM子さんと一つ屋根の下に暮らし

 

敷地内の別棟には、孫一家が賑やかに住んでいる。

 

94歳だったが、恒例の区民祭りには、

 

今年も、ある団体のボランティアとして、

 

先頭に立って、炊き出しに参加する積りだったという。

 

 

 

癌の告知も受け入れて、体が動く限り、淡々と

 

それまでと変わらない日常を送っていた。

 

しかし、流石にベッドに寝たきりになり

 

医師と看護師の見回りに頼らざるを得ないで居たそうだ。

 

 

 

亡くなる一週間前、M子さんは

 

職場の旅行をやめる積りだと、お母さんに言ったら

 

「普通に暮らして頂戴、普通に。」と言われ、

 

お母さんなら、そうだろうな、と思い

 

遠慮なく行って来たという。

 

 

 

前日は、介護サービスのお風呂介助も受け

 

身綺麗になったところで、では、とばかりに逝ったそうな。

 

気丈、と一言で言ってしまえばそれまでだが

 

湿っぽくならないのが、O氏のお母さんらしかった。

 

 

 

亡き父も、死の10分前まで、普段と変わらない口調で

 

医師や看護師さんと会話をしていたそうで(死に目に会えなかった)

 

呼吸は苦しそうだったけれど、冗談まで言って、と

 

看護師さんに感嘆された。

 

 

 

大正から昭和初期の生まれだからと、一言で括っても

 

亡き母などは、湿っぽくて、周囲が過分に気を使った。

 

前置きが長くなったが、生き物として生まれたからには

 

 

死への旅を続けているとも言える。

 

そこで、今日は、生と死についての

 

3篇の歌をご紹介しようと思います。

 

 

蟹蝙蝠(かにこうもり)大群生して霧深し

          たれに逢いたくて吾は生まれしか

                       渡辺松男

 

 

 

「たれに逢いたくて吾は生まれしか」と

 

人は問い続けて死んで行くのだろう。

 

逢いたかったのは、若しくは逢えたのは、

 

色々な人と出会い続けた、ほかならぬ「吾」なのだろう。

 

 

 

 

 

因みに、「会う」は約束をして、

 

単に近い距離で顔を合わせる事。

 

「逢う」は、想い合う男女が一夜を共にする事、

 

と聞いてから、気軽に「逢う」は使えなくなった。

 

 

 

渡辺松男氏は、それを知ってか知らずか

 

ただ単に、顔を合わせるだけの「会う」ではなく

 

心と心を通い合わせる「逢う」を使いたかったのだろう。

 

男女の、恋心ゆえに逢うだけではなく

 

広い意味での「逢う」を、ここに感じる。

 

 

 

 

 

 

生きがたき此の生(よ)のはてに桃植ゑて

          死も明かうせむそのはなざかり

                    岡井 隆

 

 

この一首の要は「死も明かうせむ」だろう。

 

モテる男、岡井隆氏が「桃」というとき

 

それは、この世の美しい女性たちのイメージも、勿論あるが

 

それだけでは無い様な気がする。

 

「桃」は、苦しい道の果てに辿り着いた

 

人生の庭に植えられて、今

 

瑞々しく熟した、果物でもある。

 

 

 

苗を植えて収穫する。

 

自分の人生を創る意思、若しくは意志の結果、

 

こう在りたい、、、、、、死は。

 

そう解釈できると思う。

 

 

 

生きがたい生(よ)に

 

せめて自分で美しい希みを添えよう。

 

ささやかなれど、自分に贈る事の出来るエールだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

死などなにほどのこともなし

          新秋の正装をして夕餐につく

                    春日井 建

 

 

生きて呼吸をしているだけで、一秒一秒が過ぎて行く。

 

この一秒一秒が「いのち」に他ならないならば、

 

死は誰の上にも、確実にやって来る。

 

目を逸らしても、来るものは来る。

 

 

 

その「際」が、どうか苦しいものではありませんように。

 

誰もが同じく願うことだろう。

 

 

 

 

それだけでは無く、自分が永遠に「非在」になることへの怖さを

 

正視に堪えないだけなのだろう。

 

 

 

上句の「死などなにほどのこともなし」などと

 

放埓に言い放つのは、案外カッコつければ誰にでも出来そうだ。

 

 

 

 

しかし、下句が、その無頼と大きく離れて

 

春日井建氏は、正装をして夕餐につくのである。

 

 

 

堂々と、しかし粛々と自らの居住まいを正して

 

目を背けたい死と向き合う。

 

 

 

 

自身に、こんな覚悟が備わるものかどうか。

 

 

まだ

 

 

遥か遠い道のりである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

斉藤史歌集「風翩翻」より数首

  • 2016.09.23 Friday
  • 09:45

 

 

 

 

地続きのやうに見えくる時あればあの世かならずしも悪しからず

 

 

 

 

 

 

 

 

底ひなき夜空の闇を汲むために七つの星は用意されたり

 

 

 

 

 

 

 

 

充分に生き尽したる顔をして蝉も蝗も死にてゐたりき

 

 

 

 

 

 

 

 

音消して生くるもの棲む森ふかく盗聴を仕掛けたり 木耳は

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この道の正面に富士山が見ゆるはず はずばかりなる一生を来て

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

父が持ちたる小磁石われは胸に吊る極北はつねに揺ぎて遠し

 

 

 

 

 

昨夜は友人達と真面目な会合を?(笑)もった。

 

私以外、「おひとり様」の二人だったゆえ、

 

お帰りは深夜となった。

 

 

談話は四方山話に移り、つらつら自身の生を顧みて

 

それぞれ苦労なんて、大なり小なり有ったが、

 

諸々の油気が抜けて

 

幾度も水を通して、晒し尽くされた麻のような顔をしている、は

 

ちょっと言い過ぎか。。。。

 

 

 

 

 

そんな時、味わいたい短歌は、年長の人の短歌だ。

 

 

少なくとも、自分より長く生きていた人。

 

 

終焉はいつなのかは、神のみぞ知る、だけど

 

 

人生の終わりを羽のように軽く、また諧謔を交えて歌った

 

斉藤史の歌を時折読みたくなる。

 

 

 

読むたびに、私が時を重ねて熟成?(笑)しているのだろう(ほめ過ぎ)

 

違う歌に、心惹かれている。

 

 

 

この度、私が一番胸にしっくりくる歌は

 

最後の歌である。

 

 

 

 

〜〜父が持ちたる小磁石われは胸に吊る極北はつねに揺ぎて遠し〜〜

 

 

 

 

 

 

 

秋が深まりゆく時間を、ゆっくり味わおうと思う。

 

 

では、また。

 

 

 

 

 

共感

  • 2016.08.29 Monday
  • 15:53

 

 

仕事をしていた頃は、毎日堅い言葉に囲まれていたけれど、

 

殆どの仕事には、そういう側面はあるのでしょう。

 

ある日、美容院で髪を染める時

 

手渡された婦人雑誌に、歌人 斉藤 史さんの短歌が

 

豊かな自然に目を奪われる「野」の写真と共に

 

掲載されていました。

 

 

「野の中にすがた豊けき一樹あり

風も月日も枝に抱きて」

 

 

来る日も来る日も、

 

堅い法律用語に完全武装した書類と格闘しながら、

 

何時しかパサパサに乾き、疲労の蓄積した私の心に、

 

その一首は、深く心に沁みわたり

 

以来、自分への慰めとして短歌に魅せられていったのでした。

 

 

 

町の図書館に行くと、そこにあったのは「短歌研究」誌でした。

 

短歌誌に、どういう種類のものがあるのかも知らずに、

 

最初に出会ったその雑誌を、毎月楽しみに読むようになったのです。

 

しかし、前衛で始まったこの雑誌を、初心者の私には

 

全て読みこなせるものではありませんでした。

 

 

 

 

毎年、9月号は「短歌研究新人賞」と「短歌研究賞」が掲載されます。

 

 

読み切れないほどの夥しい数の短歌本を積んだまま、

 

もう何年も経っている私です。

 

だから、もう買うまいと思っているにも関わらず、

 

また買ってしまいました。

 

 

 

 

今年の新人賞はなんと!平成9年生まれの18歳の女性。

 

自分も通り過ぎて来た、若かりし時代を思い出させてくれ

 

その、淡い瑞々しさは新人賞に相応しい。

 

 

 

 

 

しかし、私が共感したのは「短歌研究賞」を受賞した方の

 

受賞後第一作 50首「ゆきあい」の歌群れの方でした。

 

 

 

 

 

1946年生まれの三枝浩樹氏は、今年古稀を迎えるそうです。

 

そのなかから、幾つか好きだなあと感じた歌を、ご紹介致します。

 

 

 

 

 

折しも、先日Mさんのブログで「ゆきあいの空」という

 

素敵な言葉を、しみじみ味わったばかりです。

 

 

 

「行合」ゆきあい

 

行き合う事、その時、その所、出会い。

 

行く夏と来る秋が出会い、すれ違って行く。

 

 

 

やあ!と立ち止まるのではなく

 

一本道を歩いて来て、そのまま会釈して通り過ぎる、その一瞬。

 

そんな季節が、いま。

 

 

地上は熱気に包まれ、空を見上げれば確かに夏の雲が浮かんでいる、

 

しかし、遥か上空には薄く掃いたような、淡い筋雲が流れ

 

短いこの季節、夏と秋が行き交う空を

 

「ゆきあいの空」と呼ぶのだそうです。

 

 

 

 

Mさんは男友達から「ゆきあいの空」という

 

素敵な言葉を散りばめた、残暑見舞いの葉書を戴いたそうです。

 

暑中見舞いでも良さそうなのに、この言葉を使いたくて、

 

わざわざ残暑見舞いにしたのかな?と思い、

 

暫し、この素敵な言葉を味わう幸福に浸っていよう、と結ばれていました。

 

このブログを読んだ私も、

 

日本語の美しさを味わう幸福感のお裾分けを戴きました。

 

 

 

〜〜〜〜〜〜〜〜☆〜〜〜〜〜〜〜☆〜〜〜〜〜〜

 

 

三枝浩樹氏の「ゆきあい」より抜粋

 

 

「夏ゆくをたしかめに来し少年が

<きみ>のひかりのほとりに佇てり」

 

 

 

*少年は昔の自分である。

 

<きみ>はひかりを湛えたほとりに、今も変わらず佇むのである。

 

歳を取ったからとて、胸に抱いたひかりが消える訳ではない、、、

 

 

 

 

「ゆきあいの空のあかるさ はばからず

泣いてゆけよと声は聞こゆも」

 

 

泣くという行為は、明るさのもとでこそ際立つ。

 

明るいゆきあいの空の下、堪(こら)えなくとも良いんだよ。

 

泣きなさい、誰憚ること無く。

 

そう声が聞こえた。

 

 

 

時として、大きな存在に抱かれていると感じる時がある。

 

 

 

 

 

「<少年>が近づいてくる きみの中の在りし日の人

夏をゆかしむ」

 

 

 

自分の中の少年(少女)が立ち上って来るのは、なぜか夏だ。

 

冬や春ではなく、ひかりに満ち溢れた夏なのだ。

 

そして夏はすぐに行ってしまう。

 

 

 

 

「晴るる日の直ぐなるひかり弾きつつ

今しばし居よ夏のかがやき」

 

 

居よ、と命令形だが、決意でもあり、

 

それは時として懇願でもある。

 

輝く夏の後姿を、ただ見送るのは、もう少し先にしようか。

 

 

 

 

「ひかりとはあかるさにして静けさの

満ちたるすがた 秋がきている」

 

 

確実に吾等の頭上に、秋は来ている。

 

明るいひかりにずっと包まれていた。

 

気付くと吾のまわりは、いつの間にか静けさで満たされている。

 

しかし、ひかりは、まだ差している。

 

きっと、ずっと。

 

 

 

 

 

ブログを始める58歳のとき、プロフィール欄に

 

これから自分が持つ時間は

 

黄昏が変わりゆく様を見つめる時間だと思っている、と書いた。

 

 

 

夏の後姿も、刻々と変わる黄昏も切なく、美しい。

 

 

 

素敵な歌と出会ったら、語らずにはいられない。

 

また、お暇なときに聞いてください。

 

 

 

では、また。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

銀河の果て

  • 2016.07.24 Sunday
  • 12:49

 

 

 

たまほこの地図を逆さに見る女

         銀河の果ての道に迷いぬ

                       by ミルフィーユ

 

 

 

 

以前、家族で鴨川の大山千枚田へ出かけたときのことです。

 

山の上から、小さな田圃がなだらかに連なり

 

流石、日本棚田100選の一つ、と感動して

 

心行くまで、この日本の原風景とも言える

 

長閑でおおらかな風景を眺め

 

いざ、帰ろうとして、ふと来た道と反対方向へ行ったら

 

ある芸能人の住んでいた家があるとか、、、うろ覚えで

 

さらに上って行ってみました。

 

きっと、道はどこかで繋がっているさ!

 

きっと道はどこかへ抜けるハズ!

 

気づいたらハワイ、なんてことは絶対無いから!

 

 

 

 

徐々に、人里離れた細い畦道に車は入り込み

 

(、、、、って、運転してたのは誰?)

 

こう見えても、心細いときだって、ちゃんとあるのです。

 

 

 

まだ、ナビを搭載する前のことでした。

 

どうやら、家のお母さんは方向音痴らしい、、匂いを

 

漂わせ始めてはいたけれど、まだ決定打は放っていなかった、あの頃。

 

 

少しづつ「方向」について、家族の信用を失い始め、

 

すっかり、失ってからは、逆に堂々と

 

「私に道を聞くの?」と発言しても誰も非難しなくなった!

 

と、いうメリットを手に入れました。

 

 

 

 

 

そして、ついに先日のことです。

 

ちょっと複雑な構造のショッピングセンターで、お手洗いに行きました。

 

女子トイレを出てすぐ、男子トイレに迷わず堂々と入ってしまったのです。

 

三人の若い男性が、並んで壁の方を向いて、、、、、、

 

ギョッとした私と、やはりギョッとして振り返った一人のお兄さんと

 

目が合い、慌てて出たのは言うまでもありません。

 

 

 

 

娘にその失敗談を話したら、

 

お約束通り、ちょっと笑って「嫌だ〜〜お母さんてば〜!」

 

続けて

 

「どうして、出てすぐ男子トイレに迷い込むのか、分からない。

 

、、、、、、ダイジョーブ、、、?」

 

 

 

その最後のフレーズ、<ダイジョーブ?>が気のせいか低い温度を帯び

 

一気に、真冬の原野に立たされた気分。

 

 

 

 

娘は、ひどく心配しています。

 

お願いだから、ボケないでね!

 

お願いだから、足腰鍛えて寝たきりにならないでね。

 

 

 

 

分かりますとも。

 

私も両親のこと、そう思いましたから。

 

 

 

 

 

冒頭の、ちょっと気取った短歌の内容は

 

平たく言ってしまうと、こんな「詰まんない」話でした。

 

 

 

 

「たまほこ」は「道」にかかる枕詞です。

 

心細い、山の中の畦道も

 

言ってみれば、「銀河の果て」には違いないし。

 

 

 

言い訳でした m(__)m

 

男子トイレに迷いこまないように、、、

 

気を付けて生きていきます。

 

 

では、また。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

毒舌先生

  • 2016.06.09 Thursday
  • 11:40


TV・プレバトは、芸能人の才能を査定する番組で、

料理の盛り付け、生け花、俳句などの才能を

「才能有り」

「ど凡人」


「才能無し」

と、格付けする、出演者に取っては末恐ろしい番組だろうが

視聴者にとっては、「うん」と頷ける楽しい番組である。

その中で俳句コーナーを受け持っている、夏井いつき先生の毒舌が

大人気である。

彼女が原作の言わんとすることを、できるだけ残しつつ

少しだけ手を入れると、魔法にかかったように命が吹き込まれ

輝いてくる。

私も、いつも感心して眺めている一人だ。

書店で、今月のNHK俳句を立ち読みしていたら、

ちょっと立ち読みの積りが

夏井先生の、季語についての解説だったので

珈琲を飲みながら、椅子に掛け、しっかり読んでしまった。



「緑陰」と「木下闇」(こしたやみ)についてだ。




梅雨に入ってしまい、少し遅かったと悔やんだが、

例句として挙げられていたのが次の二句である。


「緑蔭に聖者のごとくをられけり」岩岡中正



「木の暗の暗き主に呼ばれをり」齋藤玄
*木の暗(このくれ)




〜〜以下、抜粋をまとめ。〜〜

同じ樹下でありながら、緑陰の方は明るく正のイメージである。

木下闇は、

歳時記にも負のイメージを持つ言葉の取り合わせで、作句された例句が並ぶ、と。

ならば、似て非なるこの二つの季語は、

逆に、与(くみ)しやすいのではないかと、

いつき先生は、問題を投げかけておられる。



しかし、簡単な結論に飛びつきたくなる私たちの前に立ちはだかるのが

次の一句である、と先生は続ける。



「緑蔭に三人の老婆わらへりき」西東三鬼


結句の一音「き」は、過去を表す助動詞。

三人の老婆が笑っていたのは過去のことなのだと、この一音で了解する。



私の勝手な解釈では、緑陰は光が三割ほど、、、ちらちらと。





一読して怖い句である。

いつき先生は、この老婆は日本ではなく、

西洋の魔女の様な風貌をしてる気がしてならない、と書いている。



「き」と言い切られた瞬間、不穏な時空が歪みはじめ

老婆らの笑い声は過去のことなのだと知る、と。

その老婆らの居る、明るい緑陰の奥の過去である木下闇までを感じさせる一句。




う〜〜ん、夏井先生がお近くならば、茣蓙に座ってでも講義をお聞きしたい。

そんな思いです。

毒舌で、バッサバッサと切りまくられたい。


しかし、茣蓙なんて、今の若い人は知らないでしょう(笑)






緑陰を行く私が聞いた、

みどりごの声を題材にした短歌を書こうとしましたが、

長くなりそうなので、また今度にします(笑)





紫陽花が日に日に色を変えていく、


こんな季節が、わたしは結構好きだ。





では、また。































 

渓谷の緑の中でシャボン玉のお嬢さんと

  • 2016.04.22 Friday
  • 10:39




新緑の目に優しい季節

粟又の滝巡りをして来ました。


大楡の新しき葉を風揉めり
        われは憎まれて熾烈に生たし
                  中城ふみ子





川面に反射する、滴る新緑のなんと美しい事か。

あけぐれに醒めゐ(い)て思ふ
           水源は人の住まはぬさびしきところ
                         大西民子






ひんやりした風

遠く近く聞こえる、幾種もの鳥の囀り



湿った羊歯や苔のにおい

時折見かける、鮎の稚魚の群れ



こんなひと時、亡き父や母を肩に乗せて歩く自分だと思う。




ふるさとの山河ちちはは喪はば
           身軽きか空の一点の鳥
                     高尾文子





なかなか青空に巡り会えない今年の春である。



こんな山里深い渓谷に若者の声が響く



遊歩道を引き返し、揺れる枝々の薄い緑を愛でながら歩いていると

シャボン玉を、楽しそうに吹くお嬢さんに出会った。




思わず見とれた私に、二人は微笑んでくれた

にっこり笑って

「今日はお天気が良くて良かったですね〜」と

なんて可愛いお嬢さんたち

バッグにシャボン玉をしのばせて、川のほとりを歩こうと思ったのね!


若いっていいですねえ、、、、



昔の祖母の頃なら、差し詰め「ゆで卵と蜜柑」を持参だったろうか(>m<)


私のバッグにはフルーツ味ののど飴と

顎のトレーニングになるという、堅めのガム


そして美味しい水。



良かった、、、、、まだ大丈夫!?






全身を緑に包まれて、我が町まで帰れば

スーパーの駐車場から見る黄昏の美しい事。



黄昏の野より帰りて
                おとうとの郁子(むべ)の実ひとつ
                     こゑ(え)持つごとし
                             辺見じゅん  





柔らかい緑の時季は、あっという間に過ぎてしまうから

急いで見ておきたい



まだまだ、あらゆるところの緑を。




  






 






 

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